kangosiyametaの日記

看護師である自分の母が癌になり。その日々を思い出として記す。

低空飛行

たくさんの友達が来てくれた夜、母のパートナーさんより私が友達と話し部屋を離れているときに母がおかしな行動をとった事を報告受ける。それは母が姪っ子が誰なのか認識できていないようで、パートナーさんが名前を伝えてもわからないと返答したとのことだった。しかしその後の会話におかしな点はなく、思い過ごしかもと思いつつ、母の寝ている隣の居間で布団を敷きいつも通り寝ていた。朝方ふと起き、かすかな声で私を呼んでいるのが聞こえた。母さん?と思いベッドを覗くと誰もいない。焦りトイレに向かうと、顔面蒼白の母がトイレに座っている。ズボンを汚したようだが着替える力はなく、トイレから立ち上がる力もなく、かすかな声で私を呼んでいたのだった。

急いで着替えを準備し、母の脚の汚れを拭き取り、着替え、トイレから居間のソファに抱き抱え連れて行く。気づかなくてごめんと謝り、どのぐらい時間座ってたのか聴くと1時間かなとぽつり答え寝てしまった。よほど疲れたのであろう。膝掛けをかけ、息切れをしていたので酸素のチューブをひっぱり装置をし、トイレの掃除をし、もうトイレまでの歩行は困難と判断しポータブルトイレをいつでも使えるように準備する。終わりふと時計を見ると6時過ぎであった。ついにトイレも行けなくなったのかと悲しくなってきた。

母がどんどん弱っていく。あとどれだけ時間が残されているのだろうか。

 

そのまま午前中はソファで寝ていた。訪問看護師が来て、点滴もそこで実施する。

寝ているうちにと銀行の用事を済ませに行く。

外出中に母は起き、ベッドに戻りたいと言ったようで家にいた嫁が対応したと嫁よりメールが届く。

急いで用事を終わらせ家に戻る。

母はベッドで寝ていた。嫁が言うに、嫁を私と勘違いしたようでソファから移乗する際私にするようしがみついてきたとのこと。しかしすぐ気がついたようで驚いた顔をしていたと聞く。

昨日のパートナーに言われた行動と言い、アンモニアの値が上がってきたのだろうか、不安になる。

しばらくするとトイレと起き上がる。ベッドの横に準備していたポータブルトイレに介助して動き、用をすませる。特に不思議な言動はない。トイレを済ませるとまたベッドに横になり寝てしまった。昨日に比べウトウトしているが、レベルは悪いわけではないか…

そうこう過ごしていると夕方再度トイレに行きたいこ声をかけられる。

端座位にし、ポータブルトイレに移乗させようとするとポカーンと座っている。立つからここ掴んでと促すがわからないと一言のみ、そのまま座っている。絶対変だ。レベルが落ちてきた。もう会話はできないのか、さらにリミットが近づいた…そう思うと一気に涙が溢れてきた。こんなに早く悪化するなんて、悲しいのと、悔しい思いでいっぱいだった。

そんなしてると何も知らない嫁がたまたま入ってきた。私の号泣に驚いた表情。今の出来事を伝え、涙ぐんでくれた。今から自分は訪問看護師に連絡をするから、弟に連絡して欲しいことを伝えた。

訪問看護師に連絡をし、すぐこちらに向かうとのこと。旦那にも電話をし、こっちに向かうよう伝える。

しばらくして訪問看護師が到着する、ほぼ同時に往診医が到着した。たまたま他の患者のところに行った帰り道に寄ってくれたとのこと。まさかこんな事態とは先生も理解していなく、朝からの情報を全て伝えた。そうこうしていると弟が到着する。先生に玄関に呼び出され、今の現状を説明される。もう最期の瞬間が近づいていること。最期は家族で囲んでできるだけ過ごして欲しいことを話される。オプソの内服はおそらく無理のためダイアップの座薬を処方するため今から取りに来て欲しいことが伝えられる。とても優しい先生、母のとこに行きやり残したことがないか聞いてくれた…すると母は娘が…と何かと思ったら、娘がこの土日たくさん人を通すから大変だった、疲れたと悪態つかれた。しかし、先生、苦笑いしながらでもそのおかげでみんなに挨拶できたねと、その言葉に笑顔が少し見れた。

ついに最期の瞬間になってしまう…