kangosiyametaの日記

看護師である自分の母が癌になり。その日々を思い出として記す。

低空にて安定。

ステロイドを開始し、すこぶる回復というわけにはいかないが低いなりに落ち着いた印象であった。

たまたま母がまだ入院している頃母に入院したからかんぽ生命になんか出したらお金もらえるはず、なんの書類がいるか聞いてきてと言われ病院から一番近い、今まで入ったことのない郵便局に入った。そこで手続きの担当となった女の方、証券を見ながら病名、手術をしたか、退院のめどは?など簡単な質問をされ答えていく…次の瞬間ものすごく驚いた表情で私の顔を凝視した。証券に書いてある母の名前、私の顔を見て…もしかして娘さん?お母さんって音楽療法士?と言われそうだと伝える。どうやら母の仕事仲間だったようだ。病名など伝えたばかりのため色々繋がったようでそんなに悪いの?と言われ、私もなぜか隠さず余命数ヶ月と言われてることを伝えていた。そのときから郵便局の用事がある都度その彼女のお世話になっていた。

入院中の診断書もできあがり提出に行くと彼女が対応してくれた。どのような状態か言われ、かなり低空飛行飛行であることをお伝えする。音楽療法士の仲間がみんな心配していること、会いたがっていることを教えてくれた。

一瞬悩んだ。母は疲れるから誰にも会いたくない、訪問看護も疲れる。と口にしていた。だからって誰にも会わせず最後を迎えていいのだろうか。周りの方々にしたらいきなりお葬式なんて受け入れられるだろうか。けど今を逃してはもう時間がないのは事実だ。どうしよう。

タイミングが合わなかったり、母が寝ているときはお引き取りをしていただきたいこと。一人数分までにしてほしいことをお伝えする。そんなの当たり前だよと優しい笑顔で頷かれた。

後で知ったのだが彼女は郵便局の仕事の傍ら全力であちらこちらに連絡してくれたとのことであった。

家に帰り事後報告ではあるが、母は誰にも会いたくないとは言ってるものの、誰かに必要とされていることに喜びを感じてきた人だから。顔と一言程度なら母に会いたい人をどんどん会わせたい事を伝えた。意識がなくなるのは時間の問題だからこの良い状態のうちに行いたいことを伝える。家族も最初難色を示したが理解してくれた。

他の母の友達からの連絡にたいしてももうあまり時間が残されていないから、タイミングが合うなら来て欲しいことを伝えた。