kangosiyametaの日記

看護師である自分の母が癌になり。その日々を思い出として記す。

退職するってどう動くの?

母の退院に向け、自分が家で看護しようというのは当たり前の事のように、躊躇なく決断できた。もともと今年度で転職をしようと思っていたからそれとなく上司に伝えてはいた。

もう2月なのに次の職場を決めてないのはありがたい事だった、心配性の自分にしては恐ろしいほどの計画のなさだ。

 

ただ余命1,2ヶ月と言われ、三月末まで働けるのか…いや、今すぐにでも地元に戻りたい。

とりあえず上司に早く地元に戻る必要性が出たと一報入れる。

 

しばらくすると上司から電話があり事情を説明する。他にも家庭の事情で退職、転職する人が多いこの年度末、まず素直に人が足りないと言われた。ましてや、今入院している看護師もいる…ですよね。と思いつつ週明けに話し合うこととした。

自宅に戻り、介護休暇や退職についてひたすらに調べた。介護休業は3ヶ月が最大であり、復帰後も3ヶ月以上働けない人に取らせる人はないとのこと、その間の給料は労働基準法に規定はなく、その企業次第とのこと。

こんなに病院が患者で溢れた世の中、介護に対してこんな定めしかなかったら退職する他なく、介護貧乏になるのは当たり前に感じた。自分はもともと3月で退職予定だったことを考えると取らせてはもらえないんだと絶望した。やり場のない怒りは政治家に向いた。なんだよそのルール!

それも3ヶ月って…3ヶ月過ぎたら戻ってこい、ってそれまでにかたがつかなかったらどうするんだよと。どちらにしろ介護休業は良い案と言えず、やはり早めに退職する他ないなと。

退職は辞める1ヶ月前に辞表を提出していれば良いとのこと…え?じゃあ今すぐ出しても3月頭…絶望した。なんとか少しでも早く辞める方法はないのか。余命1,2ヶ月って言われているのに1ヶ月過ぎちゃう…ものすごい焦りを感じた。

月曜の上司との話で進展しないとダラダラ働くことになる…なんか話し合うための武器を手に入れないと交渉できないと思った。

自分で調べきれないと感じ友達にもぼやいてみる…とりあえず夜中だから…と言われそんなに時間が過ぎていたことに驚く。

とりあえず明日朝から仕事だ…なかなかねつけなく、ずっと労働基準法をネット検索して過ごした。

 

医師からのお話し

翌日、気が重いなと思いつつ一人で2時間高速を飛ばし実家に戻る。

郵便を取り込み、なんだかんだしていると弟の嫁がばったり来た。少し話し、病院に向かう。

 

母はいつもと変わらずだるそうに横になっている。差し入れを渡し、話していると看護師が呼びに来た。

主治医の医師と1対1での面談。

まず抗がん剤を開始し、副作用が強く、点滴の抗がん剤を実施できない事を伝えられた。今の内服だけでは十分な治療とは言えず、家族でいつまで続けるか決めてほしいと。そして今後家に帰るのか、違う病院にうつるか、決めてほしいこと。万が一なんかあった時延命処置をするかを話すように言われた。

聞こうか一瞬戸惑ったが…聞かずにはいられなかった。『余命は?』とやっとの質問だった。

1、2ヶ月との返事だった。

ショックを受けるわけではなく、落ち込むわけではなく、時間がない!と焦りだけが襲ってきた。ふと時計を見る、やば!もうすぐ16時だ!先生に頭を下げるとすぐに母さんのとこへ。どこに退院したい?とだけ聞く。『退院?家…だけど痛いの怖いから緩和の病院かな…』とぽつり。私が家で専属看護師さんして、緩和もするって言ったら家?って聞くと『家!』と笑顔になった、あの子供が欲しいものを買ってもらったような笑顔は可愛かった。でもふときづいたらしく『でもえりちゃん仕事…』と言われだがそんなん無視して5時までで相談室閉まっちゃうから行ってくるとダッシュで向かった!

なんの予約もしてなかったが父が顔合わせをしてくれていたのでスムーズに話が進んだ。とにかく時間がないんですと泣きつき、なにをしたら良いかと聞き、メモ。往診医もたまたまパートナーさんが漢方や民間療法やってるって教えてくれたとこを発見。しかし地域外って事で相談すると言ってくれた。他もよくわかんないけどケアマネやら訪問看護やらを決めた。

病棟に戻ると17時、あとやらないといけないことは…と医師の説明のときのメモを見る。治療をいつまでするかと延命治療…

これは…弟とパートナーさん呼び出しやと弟にメールする。1時間で来れるとのこと。パートナーさんは仕事で調整付かないとのことで電話で要点を話す…いや話さないといけないんだけど優しい声を聞いた瞬間ぷつっと自分の糸が切れた。急に泣き出した私に戸惑われながらも先生の話を伝えた。今から弟も来るから本人の意向を確認することを伝えた。今在宅医療に向けて手続きをしたことを伝えるとその状態でかと心配される。パートナーさんの意向はあるようだが母に任せたと言われ、そろそろ弟が来るから、泣いた状態見せたくないからと電話を切り、トイレで顔を洗う。ひどい顔だ。

母のとこにいったん戻り家に帰るよー!準備してくる!と書類をロビーで書くことを伝えすぐに退室する。ロビーにいるとすぐに弟が来てくれた。先生からの話を伝えこれから母の意向を一緒に確認しに行こうと伝える。ポカーンとした弟の顔。そうだよね、そうなるよね。と思ってたら先生が来てくれた。補足することはないか質問されあっ!もしかしてもっと弱い抗がん剤があるのではと期待もしつつ聞いてみるとすでに今やったのが一番弱いものとのこと。

さらに弟を絶望的な顔にしてしまった…

一息ついたとこで母のとこに向かう。

先生にどうするか決めてほしいと言われた事がいくつかあると伝え、質問していく…

飲み薬、やめてもいいって。どうする?って聞くとすぐにでもやめたいと。あぁ、そんなに苦しかったんだ、頑張ったね。

退院先は家でいいよね?ときくと家に帰っていいなら…と。もちろんだよ。

延命処置は?と聞くと何もしなくて良いと、思わず呼吸器と心臓マッサージだけでなく点滴とか注射は?何もいらない、しなくて良いと静かに強い意志で話す。万が一吐血とかしたら胃カメラは?と聞くとあれ、苦しかったからもうしたくないっと、だだっ子に見えてきた。

弟も今決めた事に了承し、看護師に伝えにいく。しばらく家族で話し、弟と玄関に向かった。

抗がん剤開始後の一週間

内服治療が開始してから仕事が続き地元に帰れない日々。

面会に行った家族から今日はこうだったというメールしか情報はなく、ふと母からメールが届く。去年も疲労で調子悪かったのに仕事辞めなかったから神様に休めって忠告の入院なんだとメールがきたかと思うと熱が38度あった、吐き気強い、造血剤の点滴をしただ輸血しただ。

 

この抗がん剤が効けば余命一年と医師の言葉をふと思い出す…えっ?効かなかったら?

お願い、副作用乗り切って、頑張ってくれ!

 

何もメールがない日ほど不安が強かった。どうしたの?何があったの?

そんな中治療開始から一週間、明日点滴をするのか?こんなに症状があるのに点滴の抗がん剤ができるのか、でもやらないと胃がんは小さくならない。医師はどうするんだろうと思う中母からメールが届いた。

下痢、嘔吐、熱があるから予定通り治療がいくかわからない。ご飯も食べれないから三週間のプログラムも身体次第って先生に言われた。

 

あ、やっぱし。と看護師の自分が納得する。

ダメだよ、やらなきゃ癌が進行しちゃうとパニクる。

とりあえずあと一日、今日の仕事が終わったら大垣に行くぞ!母さんに会うぞ!

と心落ち着かせた瞬間母の病院で働いてる元同僚からメールが届く。次いつ、何時に時間ありますか?先生がお話しがあるそうです。と。

不安しか頭をよぎらない。

とぼとぼととりあえず仕事に向かった。

抗がん剤開始

医師の説明の次の日なら抗がん剤の内服が開始した。内服を21日間し、8日目に点滴投与、そのあと二週間休憩の5週間1クール。

開始する前にすでに微熱、吐き気、下痢…こんな状態で治療開始するの?と思いきや一番弱い治療なのでと開始。

朝薬を飲み、大きな副作用はなく、昼頃様子を見に行くと大きな変わりはなし。ひとまず安心し、そこから2時間の自宅に戻った。腫瘍が大きいので破裂の可能性ありとの医師の説明に不安を覚えながら夜勤に向け、強引に仮眠をとることとした。

医師からの説明

1/23家族に医師から説明だった。

 

朝起きたもののすぐに病院に行く気になれず、昨日とは別の友達にメールする。返事はなく、車に乗るが気がのらず地元を久々ぶらぶらする。さすが地元、ショップ店員の友達が働いていた。すごい驚いた顔をしていたがすぐに目が腫れまくりの私に気づき心配してくれる。

メールした友達から電話もきた。事情を話すととりあえずなんか食え、腹になんか入れてから病院行け!と背中を押してくれる。

病院に着くとすぐ母がメモできるか言われどうしたのかと思うと貯金通帳やら生命保険の話しをし始める。

しばらくして母のパートナーが到着する。何度も会い、メールする仲であり、たわいない日常会話をするが、また急に母が思い出したかのように話しはじめる。今度はお葬式の話し。遺影のことやら、なんやら。まだそんな事を話すタイミングじゃないとパートナーさんが中断するが無視して話し続ける。しばらくして弟も到着。仕事を抜けて来てくれた。しかし葬式の話しをしている母に不思議そうな顔をする。

 

看護師に全員揃ったか聞かれ面談室に案内される。

母、パートナー、弟が不安そうに聞く中医師が説明を開始する。話の途中でパソコンに映されたCTの結果に驚いた。家族にわからなくとも、看護師の私にだけわかる…肝臓の大きさが半端ない。どんだけ転移してるんだよ、もう終わったと心底思った。抗がん剤?もう無理だ。

どうしよ?

『明日から抗がん剤は開始します。胃だけなく肝臓の癌も小さくなるかも』と医師の言葉に安堵の表情を浮かべる家族。ダメだ、私が見たものは私の中に留めよう。家族はまだ受け止めれないと判断した。

 

医師の話しに納得し、母は余命をあえて聞かない事を選択した。とりあえず通院治療を目指すとのこと。

みんなが退室したあと医師にちらっと聞く、抗がん剤が効果あった場合どのぐらいの予後か…一年と思いのほか長いことに安心した。

しかし効かなかったら…数ヶ月。効果が出ることを願うしかないなと。

 

病室に戻ると母は治療が開始するから大丈夫と笑顔を見せる。その笑顔に逆に励まされる。

 

弟が帰るとのことであり、おそらく通院治療とはいえど一人で生活は無理だから自分が地元に戻ることを提案する。そうなの?と驚く弟。自分でもいつの間にそんな決断したっけなと思いつつ言葉がでた。仕事はと言われ、なんでか3月いっぱいで転職しようとしてたから辞表はだしてあり、なのになんでか次の転職先をまだ決めてないことを伝える。心配性の自分としても不思議な状況。なんで転職先まだ決めてないんだろう。まぁいっか、地元にすんなり戻れる、旦那もきっとわかってくれると伝えた。

部屋に戻ると母とパートナーが話していたのでまた明日来ることを伝える。

ちょうどメールをくれた友達が仕事が終わったとのこと、ご飯を一緒にし、いまのとこ、告知のあとすぐ連休があったこと、医師の説明もきけたこと、転職活動してないことなどいまのとこタイミングばっちしだから大丈夫と励まされ、なんかそんな気がし、久々に泣かずに寝れた。

母が癌になった

64歳、まだ若い、病気に無縁と思っていた母。

そんな母が12月突然胃のつっかえ感を訴えた。胃潰瘍でしょーと軽い気持ちで飲んだ胃カメラで発見。

さらなる検査の結果肝臓転移、リンパ転移を発見。

わたしはそんなこと知らず、夜勤明け、昼寝から目覚めると母からの不在着信。珍しく、不思議に思い電話をする。どこか弱々しい声の母。

『ごめんね、胃がん見つかった』その後の会話は未だに思い出せない。言葉を失った。頭が真っ白だ。その後の自分の行動も覚えてない、気がついたら数時間過ぎ、なぜか車に座り泣いていた。わけわからず声をあげ一人で泣いた。

 

もうすでに入院は決まっていた。自分が新人の頃働いた病院への入院。あそこなら大丈夫と自分に言い聞かせる。今すぐ母に会いたかったが片道2時間と微妙な距離。とりあえずすぐに連休があるからそこまでは勤務に集中と切り替える。

その数日後の1/21に入院。

1/22から連休のため地元に戻る。働いた病院なだけありスムーズに病室に到着。知り合いもちらほら。

カーテンを開けようとしたが一瞬戸惑う…激やせとかだったらどうしよ…いやいや、とりあえず会わなくちゃ。あけてホッとする。まだ12月に母と何も変わらない。いや、顔が白い。思わず下まぶたを下げ、あっ、白い。貧血だ。でもご飯もぺろっと半分食べるしいいのか?いや、貧血が…もう癌の周りから出血してるの?あかん。と母の横で動揺しまくり、バレないように片付けしきれていないベッド周りを整理整頓する。

なんか足りないものがないか確認し、思いのほか病院暖かかったから半袖がほしいと言うので買い物に出かけることとした。

病院を出てすぐ、父に連絡する。思いのほかヤバイ気がすると。元夫という立場に一瞬戸惑ったようだが理解ある今の奥さんに私が父として頼ってるんだから行けとプッシュされすぐに来てくれた。入院の手続きなどを一緒にすませ、自分も一安心。

明日医師からの説明とのこと。母を疲れさせてもあかんと夕方に病院を離れ、看護師友達を呼び出し、治療なことなど聞いたのちアホほど泣いた。一人の友達では足りずハシゴしてもう一人呼び出しまたさらに泣いた。

誰もいない実家に戻り泣き疲れて寝た。