kangosiyametaの日記

看護師である自分の母が癌になり。その日々を思い出として記す。

まずは環境に適応。

次の日朝6:30に目が覚めた。

下に降りるとまだ母は寝ている。弟家族も起きていない。コーヒーを入れ、のんびり携帯をいじる。母が覚醒する。母の介護ベッドからこたつまで数歩、ゆっくり自分で歩いて来、急に正座になる。『今日からよろしくお願いします』と少し恥ずかしそうに言われる。こちらこそよろしくと伝え一緒に天気予報を見る。少しして弟夫婦、姪っ子が来る。朝食を食べ、みんなで8時からNHKの連ドラを見る。なんてのんびりな朝なんだ(笑) 見終わってしばらくすると弟が出勤。しばらくして母はこのまま居間のソファで休むとのことで残りの荷物を車から降ろし片付ける。洗濯、片付けをしているとあっという間に昼になる。弟も昼に一旦帰宅しみんなで食事をする。昼食後母はまた休むとのことでまた片付けをし、本日は往診医が来るとのことで夕方から対応する。自身も癌を患っているドクター。気さくな方で相談しやすい。特に母に変わりはないが内服を拒否することを伝え、絶対に飲まないといけないものと、どっちでも良いことを確認する。自分が看護師ということもあり、判断は任せると言って頂けた。

その後犬の散歩に行き、弟が帰宅、夕食をし弟が姪っ子をお風呂に入れに向かうとともにお休みなら挨拶をし、私と母となる。肩もみをし、テレビを見、トイレに行き、寝る前の薬を飲み、母を布団に誘導し、自分も部屋に戻る。

一日の流れはこんなだ。早く適応しないとなと実感する。

実家到着!

仕事が終わり、準備をし実家に向かい、到着したのは21時前だった。

母はこたつのところに座り、パートナーさんと話していた。

夕食は色んなものを少しずつ食べたとのこと。

車から布団、洗面道具、冷蔵庫に入れる食材だけ下ろす。しばらくしてパートナーさんがら明日仕事だからと帰る。

少し話し、母がトイレに立つ。ゆっくりではあるがトイレまで壁をつたい歩き、しばらくして戻ってくる。少し息が上がるがそこまで苦しそうではない。布団に入るのを見届けて自分もシャワーを浴び、寝室に向かう。

一緒に連れてきた犬、猫は不思議そうに部屋を徘徊している。いつも家の中を走り回ってる2匹を6畳間に閉じ込めて申し訳ないなと思いつつ、自分も明日からに向けて床についた。

母退院!

母の退院日には弟、パートナーさん、父の男3人が付き添いしてくれた。

特に問題なく家に戻ったとのことだった。

家に戻り早速こたつに入ったら入院中床からの立ち上がりなんかしたことがないため筋力低下があり、立ち上がれなかったこと、姪っ子が足にしがみついたらバランスを崩し倒れたなど報告メールが届く。

とにかく家に帰りたい!という本人の希望が1つ叶った喜びとともに、介護が始まったと実感。

母はやたら寝るらしく、その合間に父が洗濯機の取り付けや台所の掃除をしてくれた。

母が食べたものの報告メールが届くとともに、何か起きては相談メールがくる。

粉薬は食事に混ぜて良いのか、薬を飲めない時どうしたら良いか…整腸剤、解熱鎮痛剤、睡眠薬を飲んでる程度だから別にどっちでもいいや!と思いつつそりゃ家族にとったら不安だろうよと納得。家族に今任せているのを申し訳なく思う…あとちょいだから…頑張って!

自分も仕事はバタバタであったが一日ずつ母と過ごせる日に近づくのは嬉しかった。

仕事が終わってから実家に持っていく荷物をまとめる…調味料、布団、犬猫のもろもろ…

仲の良いおばちゃんから連絡があり休みの日に向かうと身体に良い、癌に効くとテレビなどで見た食材を山盛り準備してくれていた…もずく、牡蠣、みかんなど、そして少しでも調理が楽になるようにとカレー、切り干し大根など作り置きなど。本当感謝しかない。

病院の仲の良い患者には癌の闘病の時食べやすかったものを教えてくれる。

仲の良い医師には常に励ましの言葉を頂いた。

 

そしてついに2/24最終仕事日を迎える。

仕事終わりにお花をいただいた。この2ヶ月間、心ここに在らずのこともあったが職場のみんなに助けられ、無事ここまでたどりついた。

家にもどり、すぐに荷物を車に積み込み、犬猫を連れ大垣に向かった。

引き続き掃除。

疲れ果ていつのまにか寝ていた。

起床し軽くお腹に入れると再度掃除を開始した。玄関、庭を掃除する。母が車椅子で戻ったときに邪魔になるものがないようにひたすら片付ける。もともと祖父母の生活スペースに母が移動したためまだたくさん祖父母のものもでてきた。

父から電話がきた。一緒にお昼を食べてから病院に向かおうと。ちょうど切りもついたため最初の一週間、色々してくれる父に台所のどこに何があるかを伝え、まだ洗濯機の設置ができていないことなどを伝えた。

昼食を済ませて病院に行くと昨日より楽そうな表情の母をみて一安心する。明日の退院の段取りを再度確認し、荷物を少し持ち帰り実家に戻る。明日ゴミの日とのことでゴミを集める。

なんとゴミ袋6杯も回収した。

車に残っていた自分の服などをおろし、自宅に戻った。

退院は明日。自分はその5日後に到着予定。

何事も起きないよう祈るしかなかった。

退院まであと数日!

退院前に実家を母が過ごしやすく、自分たちが生活しやすいように環境を整える必要があった。

母の退院二日前、自分の連休を使い地元へ。実家に帰る前に病院へ寄る。

これから掃除をしないとだから手短にと思いつつ、今までで一番顔色は悪く、目はうつろ、時々焦点が合ってないので焦る。微熱が続き、入院も長引き疲れ切っているようだ。ウトウトしており、寝ている瞬間はまるで死人を見ているほどげっそりやつれ、血の気もなく、涙がこみ上げてくる。それでと親戚が来ると起き上がり会話している。気の強い人だなと改めて尊敬する。長居しても疲れさせてしまうなと判断し、実家の掃除をすることを伝え、あと2日で家だからと励まし離れる。

 

実家に向かうと朝から弟たちもプチ引っ越しのためアパートからベッド、キッチン用品を運びこんでいた。お嫁ちゃんのご両親はすこしでも気持ちよく退院を迎えれるようにと庭の手入れをしてくれていた。もともと年末から弟夫婦が同居しようとリフォームの準備中の段階であったためあちらこちらに段ボールがあり、戸棚の整理整頓まで追いついていない。とりあえずレンタルした介護ベッドからトイレまでつまづいたりぶつかる物がないようにし、台所、風呂場の片付けをする必要があった。ひたすら空いているところを作り、入れ、いらないものは捨て、自分が使いそうなものはイメージしながら使いやすいように片付けていく。3時間かかりリビング、台所は片付いた。やたらレトルトの物がたくさんでてきた。調子が悪くなってから調理はできず母の友達が差し入れをしたりしたそうだ。

そのまま風呂場、洗面台を開始する。ストーブや別の部屋から移動した戸棚、移動したままの洗濯機が置いたままであった。入院直前まで母はこの移動、掃除を一人でし、こんなぐちゃぐちゃな環境で生活していたんだということに胸がが引き裂かれそうになる。ご飯はいつからレトルトだったのだろう…可哀想な事をさせてしまったなと申し訳なく思う。せめて余命を少しでも快適に過ごせるようにと涙をこらえひたすらに片付ける。気がついたら2時間経っていた。さすがにクタクタで冷凍庫からレトルトをチンする。味は濃く、まずい。こんなんを毎日食べていたのか…そりゃ体が悪くなる…頬を涙が流れるのを感じる。母のこんな生活に気づかずにいた自分が情けなくなってくる。相談すらしてくれなかった事に悲しくなってくる。なんならこうなってしまったのは自分のせいじゃないのかと自分に嫌悪感、憎しみすら感じる。

一人掃除したリビングで泣きじゃくった。

その後自分の寝床とする祖母の部屋の掃除を何かにとりつかれたかのごとく夜中まで実施した。

今の目標、母が家に帰ること!

そこから20日、週1程度で引き続き実家には日帰りで行った。

家族とメールを頻繁にし、家で誰がどこで寝るか、母はどう生活するのが良いかなど打ち合わせ。時間があれば胃がんの文献を読みあさり。

家族には退院、6日間私が到着するまで頑張ってもらうしかなかった。たくさんメールがきて不安さがわかる。もし何かが起きたら…そんな不安は十も承知だ。そして在宅の看取りのため何が起きても救急車を呼ばないという決まり。呼ぶのは訪問看護師さんのみ。はたして吐血、下血を目の前で起こしたとして一般の人は対応できるのだろうか…絶対に救急車を呼んでしまうだろう。だけどそしたら胃カメラされて、万が一のときは心肺蘇生されてしまう…そしたら母の胃カメラ拒否、家で静かに死にたいという希望は叶えれないのではないか。

そんなやりとりを毎日仕事の合間にし、流石に疲労を感じた頃、2/12 母が鼻血を出したメールがきた。一日ではなくここ数日続いてるとのこと。

肝臓で凝固因子を作っているのでついにそんなに肝臓が悪くなったのかと落ち込んだ。

そのようなメールが来たからといって母の顔を見れず、採血データーが見れず、この2時間という距離にむかつき、明日も仕事のため動けない自分が腹立ち久々に泣きじゃくった。まだあと二週間弱あるのに…間に合わないと再び焦りが押し寄せてくる。

一応数日後、採血でそんなに問題がないことを知り一安心。さすがに自分の精神状態がくたくたになってると実感。

退職に向け前進!

退職に向け色んな友達からの情報、案が次々と届く。

石垣の友達は色々と電話してくれ方法がないか探ってくれたようだ。現職場の後輩も私の疲れた顔に気づき話すと今すぐにでも辞める方法がないのか、今まで辞めた人たちに連絡をとって聞いてくれた。

たまたま到着師長がセクション長だったため相談してみる…時期が時期だからね…と言われた…いや、私も時期が時期ですよと泣きそうになってきた。

自分に何か診断書をもらえないか…強引に明日から出勤しないなんてしちゃいけないのか?焦りまくってるのはわかるけど間に合わないかもという不安に襲われる。

とりあえず退職届を月曜、課長と話す時に渡すしかないと背中も押され、日曜の夜中に退職届を作成する。

月曜、昼頃に課長から呼ばれた。母の病態を聞かれ説明する。今退院調整中のためまだ退院日は決まってない。入院中はある意味安心なので勤務変更をしてでも働くのは構わない、が退院したらできるだけ早く自分も付き添いたい事を伝えた。なかなか表情の読み取れない課長、どうなるんだと不安しかない。

今病欠の人もいてすぐに休みをあげれないとまず言われた。しかし看護師として自分の母親の看護に間に合うのにできないもどかしさはすごくわかる。自分も子供の時に母親を癌で亡くしたから…3月は出勤できないと思ってる。欠勤か2月いっぱいでの退職で上と相談すると。じゃあ2月はどうするか、どこまでは働けるか?と逆に言われる。自分の中での恐らく退院はこの辺りだから2/18からとカレンダーを指でさす…それでも今日から二週間か…そのあたりは残念ながら自分が連勤で勤務変更は難しいから今ある休みのところに休みをくっつけ、2連休で対応してほしいと言われた。2つ休みをいただき、2/24が最終勤務日と決定した。

やっとゴールが見えた!あと20日

母の体調がそこまでもつことを祈るしかない。